クルマの修理技術は一日にして成らず―皆さんの愛車がトラブルに見舞われた時の心強い味方、鈑金塗装工場。今回は、そこで働く職人達の「技術向上」を目指す取り組みを紹介する。預かったクルマの安全・安心を、修理という形で保証しなければならない人々は、日夜、技術や知識の習得に余念がない。新素材の採用や新たなシステムの搭載など、著しい進化を遂げる最近のクルマを扱うとなるとなおさらだ。皆さんのクルマが直される裏側には、どのような取り組みがあるのか。それを知るため、著者は長野県で行われた、ある大会に密着した。普段見る機会の少ない場面の数々を、ぜひご覧ください。◆長野県の整備協同組合で初となる鈑金塗装の大会を開催日本列島が秋の長雨に襲われた10月某日。長野県諏訪市で、鈑金塗装や車両販売などを手がける興和自動車興業に、同県内の鈑金塗装工場から腕に覚えのある職人達が集結した。目的は、ここを舞台に行われる「自動車鈑金塗装技能競技大会」に参加するため。この大会は、技術向上を目的に長野県自動車車体整備協同組合が主催し、組合として初めて行う取り組みだ。今回の優勝者は、いわば“初代チャンピオン”。その栄誉をかけた大会は、多くの人々の協力を借り、度重なる打ち合わせを経て、この日本番を迎えた。開会式では、大会会長で同組合の理事長・駒場稔氏(郷田鈑金会長)が「長野でも技術力の向上に繋がる大会を開きたかった」と開催意義を改めて説明。その話を聞く参加者からは、緊張した雰囲気が伝わってくる。◆「精度」「スピード」「安全作業」「知識」を競う大会は鈑金部門と塗装部門に分かれ、実技と学科の合計点で順位が決まるという方式で開催。各部門5名ずつ、計10名が参加し争われた。採点基準は「精度」、「スピード」、「安全作業」の実技面に加え、「鈑金塗装の知識」を学科で判断するというもの。まさに自らの総合力が試される場となる。どちらの部門もワゴンRの左フロントフェンダーを使用し、鈑金はヘコミの修復を、塗装は元々のカラーに、より近づけるという作業が求められた。制限時間はいずれも90分。実技では参加者1人1人に採点担当者が付き、作業工程も含め厳しい目で採点が行われた。◆大勢の観衆に見守られながらの作業午前9時30分、競技がスタートした。それぞれの参加者は、日頃身につけた技術をフルに発揮し、目の前のフェンダーと向き合う。鈑金部門を見ると、皆一心不乱に鈑金ハンマーで裏側を叩き、下地を作る作業に余念がない。いつも行っている工程とはいえ、この日は自社ではなく慣れない場所での作業となる。また審査員の目に加え、競技開始とともに多くの観覧者も会場に集まり作業を見つめる。平常心を保つのも精一杯という状況のなか、黙々と作業は続く。鈑金作業は、その後、凹凸を埋めるためのパテを塗り、乾かした後にサンドペーパーで表面を平らにする。この基本の流れは、どの選手を見ても差はない。しかし様々な工場の職人が揃うだけあって、使用する材料や機材、作業のスタイルがそれぞれ違うのは面白い。競技開始から1時間近く経つと、作業を終える参加者も現れ出す。この独特な雰囲気のなか、どのような気持ちだったのかを、今まさに作業を終えた参加者に聞いてみた。すると、やはりというべきか「環境や人に見られている点など普段とは違うことが多くて緊張しました」という答えが返ってきた。この頃には、あいにくの雨にも関わらず観覧者はゆうに50人を超えていた。さらには、審査員を務める、杉山裕二氏も戦況を見つめている。同氏は、厚生労働大臣認定の「現代の名工」にも選出されている、いわば鈑金職人の“レジェンド”とも言える存在だ。緊張するなと言う方が難しい。◆プロのワザを体感一方、塗装ブースに目を移すと、その中では出場選手が下地を整えたり、調色を行ったりしている。周囲の声がダイレクトに耳に届くような“オープンスペース”で行われている鈑金部門とはうって変わり、塗装部門は四方をカベに囲まれたブース内で行われる。普段の環境に近いとはいえ、審査員やガラス部分から中を覗き込む観衆の目が気になり、さすがに「いつも通り」というわけにはいかないだろう。ここで求められる技術は「ボカシ塗装」という技法で、再塗装した場所が元々の色と区別できないようにするプロのワザの一つだ。著者は取材で、鈑金塗装工場を訪れる機会は多いのだが、この日のように作業の一連の流れを、始まりから終わりまで見る機会には遭遇できない。「繊細な作業が行われているんだな」という事を、まざまざと知るいい機会になった。完成したフェンダーを見ると、もはや素人目には、どこが塗装した部分なのかすら分からない。「これを、どうやって採点するのだろう?」、これが偽らざる正直な気持ちだった。しかし、プレーヤーがプロなら、ジャッジをするのもプロ。我々には分からない次元でのせめぎ合いが、そこにはあるのだろう。◆“現代の名工”も参加者を絶賛実技に加えて、学科テストも受けた参加者達。「慣れない環境」、「聴衆の目」、「審査をされるというプレッシャー」。その全てを一身に受けた疲労は、いつもの180分で感じるものとは、一味も二味も違ったのではないだろうか。午後1時に実技と学科が終了。あとは、結果が発表される閉会式を残すのみとなった。審査を待つ間、共に戦った参加者や同僚などと談笑を交わしている参加者達。そのリラックスした表情は、先ほどまでの厳しい職人の顔とは全く異なるものだった。今回、鈑金部門は3位まで、塗装部門は2位までの選手が表彰される。予定時刻内に審査が終わらず、閉会式の開始時間が少し遅れるほど、順位を出すのは困難をきわめた。数分の遅れののち閉会式が始まり、そこで結果が発表された。厳正なる審査の結果、鈑金部門は小澤友裕氏、塗装部門は湯本徹氏の優勝が決定した。二人はともに長野市にある滝沢板金塗装の職人で、同社の“完全制覇”で大会は幕を閉じた。総評を行った杉山氏は、開口一番「甲乙つけがたい」という感想を口にした。続けて、「私が若い頃は、このような環境(大会)がなく、うらやましい。さらに上を目指して技術を磨いて欲しい」と若い職人達にエールを送った。◆継続開催で技術力を追求し続ける閉幕後、すべての選手の“作品”が展示されたのだが、結果が出た後でも、やはり著者には、その違いは分からなかった。しかし、すぐに杉山氏の「甲乙つけがたい」という言葉を思い出した。プロ中のプロでも判断に迷うほどの作業を、著者のようなものが分かると言ったら、失礼な話なのかもしれない。ただ、今回の大会がハイレベルだったというのは、しっかりと肌で感じることができた。鈑金部門を制した小澤氏はこの道17年を誇る技術者だ。終了後に話を聞くと「緊張したけど、途中からは自分の世界に入り込めた。この優勝でお店にお客さんが集まってくれたら嬉しい」と感想を語った。また塗装部門の湯本氏は「この仕事を始めて22年目ですが集大成を出せた。周りの環境には左右されなかった」と“ベテラン”らしい風格のあるコメントを残してくれた。今後も2年に1度の継続開催が決まっているこの大会を通じて、より多くの職人達が切磋琢磨し、技術を養っていくのだろう。「進化していくクルマを直していく若者たちの刺激になればいい」(駒場会長)という明確な意思のもと、戦いは続いていく。大団円だった大会を通じて、著者が感じたのは、愚直なまでに技術を追い求める参加者、運営スタッフ、そして観客といった鈑金塗装に関わる人達全ての想いだ。どの人も「技術の追求」という言葉を口にし、視線には自動車業界の未来が見据えられていた。もちろん、その技術が向かう先は、自分の栄誉ではない。あくまでもユーザーの安全や安心に向けられるものだ。このような取り組みの一つひとつが、日本の鈑金塗装レベルを高め、完璧な修理に繋がっていくことを、再確認した一日となった。
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