1989年当時、2人乗りのスポーツカー市場がほとんどなかった頃に突如として現れ人気を博したマツダのライト・ウェイト・スポーツカー「ロードスター」。国内ではシリーズ累計で12万台が販売され、海外でもファンミーティングがギネス世界記録に認定されるなど愛好者が多いこのクルマ。初代NA型が発売され、現在4代目となるND型まで歴史が紡がれている。当時北米マツダに在籍していたカーデザイナーのトム俣野氏の手によって初代のデザインが生まれた。トゥールズインターナショナルが運営するウェブメディア『TD(ティーディー)』では、NAロードスターなどのデザインを手がけた世界的なカーデザイナー、トム俣野(俣野 努)氏をゲストに迎え、インタビューを実施した。今回TDでは、「連載 カーデザイナー・トム俣野とロードスター」と題し、今まで国内のメディアでは語られることのなかったロードスターの開発秘話や、世界の自動車メーカーで活躍した俣野氏のこれまでの歩みについて全5回の連載を順次公開する。(以下、抜粋記事)ユーノス・ロードスターは1989年2月に、日本から先行する形でまずはシカゴショーで発表された。アメリカでの販売名は「MX-5ミアータ」。その4ヶ月後に日本で発表され、国内月販100台という予測を軽々と覆し、売れに売れた。なぜ、このように「愛される」クルマを生みだすことができたのか。その開発ストーリーの中で、俣野氏は「ある一社のクルマをつくるのではなく、『歴史に残るクルマ』をつくりたいと思って手がけた」と振り返っている。2日間に渡って取材させていただいた内容を全て記事に起こしたら、なんと3万字の大作になってしまった。しかしどこも捨てられないので、思い切って長編企画に挑戦する。来週から連載でお届けしていく、俣野氏の半生とロードスターのデザイン秘話。どうか見逃さないで欲しい。◆トム俣野(俣野 努)氏 プロフィール1947年長崎市生まれ、東京育ち。成蹊大学工学部を中退し、渡米。世界的なデザイナーたちの登竜門であるアートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ入学し学位を取得。卒業後は1974年にGMに入社。オーストラリアのGM Holdensを経て、1982年にBMWへ移籍後は3シリーズを手がける。数々の実績が評価されマツダに招かれ、初代ユーノス・ロードスター、3世代目のRX-7(FD)のオリジナルデザインなどを手がけ、マツダの開発システムにも多くの影響を与えた。2002年から、サンフランシスコにある美術大学、アカデミーオブアートユニバーシティの工業デザイン学部の学部長を勤めている。
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