オートモビルカウンシル2021に毎年クラブブースを出展しているマセラティクラブジャパン。今年はワンオフのプロトタイプ、『ギブリIIカンパーナスペチアーレ』を展示した。同クラブは1993年に設立した、イタリアのマセラティ社公認のオフィシャルクラブである。その会長であり、自動車ジャーナリストの越湖信一さんにこのモデルについて話を伺った。越湖さんは先日、マガジンボックスより『MASERATI COMPLETE GUIDE II』を上梓。この本には今回紹介するギブリIIカンパーナスペシャルをはじめ、多くの珍しいマセラティのほか、いくたびも経営が変わったその時代ごとのマセラティの歴史と各時代のモデルが紐解かれている。さらに古い時代だけではなく、最新の『MC20』の開発エピソードまで網羅されているので、現時点でのマセラティの状況が最も良くわかる1冊といえる。さて、マセラティは1993年、それまでのアレッサンドロ・デ・トマソの時代からフィアットのマネージメント下に置かれ、イゥージニオ・アルツアーティというCEOによる立て直しが図られた。「デ・トマソ期のクルマは信頼性などをはじめとした様々な問題を抱えており、その時期のマセラティの経営はドン底だった」と越湖さん。それをフィアットが立て直すことになったのだ。しかし、その肝心のフィアットもその当時経済的には破綻寸前だった。「要は投資出来ないということで、アルツアーティはギブリオープンカップレースというワンメイクレースを始めたり、外部の様々なブランドと組んで少量生産のクルマを作れないかと模索した」と述べる。その企画のひとつがカロッツェリア・カンパーナの手によるギブリIIカンパーナスペチアーレなのである。カロッツェリア・カンパーナの創設者、オノリオ・カンパーナは、セルジオ・スカリエッティ、メダルノ・ファントッツと並ぶ、モデナの3大アルミたたき名人と呼ばれた人物で、マセラティと非常に関係の深いカロッツェリアだ。カロッツェリア・カンパーナは1947年に設立され、フィアット『トッポリーノ』などをベースにしたスタンゲリーニなどのクルマを作ったり、また特別仕様のバスなどを作ったりもしていた。マセラティとの関係はデ・トマソ時代に強くなり、「この工場でデ・トマソの色々なモデル、例えば『グアラ』なども手掛けていた。さらにさかのぼると、1975年にアレッサンドロ・デ・トマソがマセラティを傘下に入れた頃のクルマの開発や整備などもここにアウトソーシングしていた」と越湖さん。その後も、「1990年くらいのクルマは工場から出荷された後、カンパーナで耐水試験や傷直しなどが行われていた。まさにマセラティのラインのひとつといってもいいくらいだった」と説明。そして、「いまやマセラティのクラシックカーパーツは全てマセラティからここが引き受け、販売を行っているほか、『A6GCSベルリネッタ』や『エルドラド』など様々なクルマのレストアも手掛けている」という。さて、ギブリIIカンパーナスペチアーレは、「デザイナーの案に従ってカロッツェリア・カンパーナでモデリングして作られた。計画では既存のギブリIIをベースに作ったコンプリートカーを販売する、もしくはそれぞれのパーツだけを別売するという2つのプランで進められ、1996年にプロジェクトが完成した」と話す。しかし、1997年、急にフィアットからフェラーリ傘下に変わってしまったことで、「ギブリオープンカップレースやこのような既存のプロジェクトは全部キャンセル。特にこのギブリIIはデ・トマソ時代のイメージそのものということで、当時のCEO、ルカ・ディ・モンテゼーモロはあまり好ましく思っておらず、有無をいわせず終わってしまい、コンセプトモデルのこの1台だけが作られた」とその経緯を語る。その後、越湖さんの伝手で日本の熱心なユーザーの手に渡り、マセラティクラブジャパンの中で何人かのオーナーに乗り継がれ現在に至っている。越湖さんは、「オリジナルのイメージをあまり壊さないように、しかしその当時のトレンドを取り入れながらよりスポーティなモデルにしようというイメージだ。当時はエンジンの仕様も注文が出来、このモデルはギブリオープンカップレースカーに使われたエンジンで、2リッターで340馬力くらいのハイパワーエンジンが搭載されている」という。そして、「今年は『ビトゥルボ』生誕40周年ということや、また、カロッツェリア・カンパーナという存在を日本に知らしめたいという思いで、今回の展示に至った」とコメントした。