最新のクルマは、驚くほど便利で快適だが「クルマを操る楽しさ」が希薄になっていると感じることはないだろうか。連載記事「旧車と共にある人生」では、旧車オーナーのリアルな声を編集部が独自取材。旧車と共に人生を歩んできたカーオーナーそれぞれのクルマ哲学を読者の皆様にお伝えする。
FIVA国際クラシックカー連盟
アジアアンバサダー 清水氏に取材
今回取材したのは清水正喜氏(FIVA国際クラシックカー連盟アジアアンバサダー)。カーケアブランド「オートグリム」を取り扱うプレミアム・カーケア・ジャパン(株)や、「マックツール」のマックメカニクスツールズ(株)の代表取締役CEOを務めると共に、FIVA国際クラシックカー連盟のアジアアンバサダーとして、旧車を単なる中古車ではなく「文化的遺産(文化財)」として保存・継承する活動を行っている。

横浜で生き続ける「S600」という文化遺産
異国情緒漂う横浜・元町から、アメリカ山公園へと続く緩やかな坂を登り切ると、美しい緑に囲まれた重厚なガレージが姿を現す。通りがかりの若い宣教師が興味深そうに眺める中、そのシャッターが静かに上がると、そこに佇んでいたのは、第1回「ラリーニッポン」でゼッケン1を背負い、日本の道を駆け抜けたホンダ・S600だった。

この車両は、後に縁在って清水氏が譲り受けることになるのだが、引き取った際、車両はすでに極めて良い状態でレストア(復元)されており、素晴らしいコンディションが保たれていたと清水氏は振り返る。
手入れが行き届いたS600は春の陽光を弾きながら、ガレージで始動の時を渇望しているかのようにも見えた。
清水氏はS600の魅力について、ホンダ製エンジンならではの鼓動を挙げ「いわゆる “ エンジンのホンダ ” と言われていた時代の象徴であり、他の車とは一線を画す吹き上がりの良さがあります」と熱っぽく語った。
現在、S600は清水氏の拠点のひとつである伊豆高原に置かれていることもあり「伊豆スカイラインのような道をオープンで走る際の爽快感は、まさに『ザ・スポーツカー』と呼ぶにふさわしいものです」とその情景を思い浮かべるかのように語る姿に清水氏のS600への愛情を感じることができた。

現在、S600は清水氏の拠点のひとつである伊豆高原に置かれていることもあり「伊豆スカイラインのような道をオープンで走る際の爽快感は、まさに『ザ・スポーツカー』と呼ぶにふさわしいものです」とその情景を思い浮かべるかのように語る姿に清水氏のS600への愛情を感じることができた。
清水氏にとってS600は、単なる所有物ではなく、輝かしいヒストリー(歴史)を含めて次世代へ引き継いでいくべき「文化遺産」の一つなのだ。清水氏は、こうしたエピソードを持つ車を「たまたま今、自分が預かっているだけ」と考え、いかに良い状態で次の世代へ手渡していくかという「継承」の使命感を持って所有している。

原点としてのロータリー、そして33台の終わりなき旅路
清水氏の自動車への耽溺は、1979年に中古で手に入れたマツダ・サバンナRX-7から始まった。
大学で機械工学を専攻していた若き日の彼を射抜いたのは、ロータリーエンジンという特異な機構が奏でる、滑らかで官能的な吹き上がりであった。
「デザインの美しさはもちろんですが、私はその根底にあるエンジニアリングに強く惹かれます」
と清水氏は静かに語る。以来、人生の相棒として選んできた車両は累計で33台。現在は、前述のS600をはじめ、アルファロメオ・1900CSS、ポルシェ・スピードスター1954といった、1950年代から60年代の黄金期を彩った約11台の傑作たちが、彼のガレージで息を潜めている。

エンジニアリングが映し出す “ お国柄 ” との対話
清水氏の視点は、単なる収集家のそれとは一線を画す。清水氏は、機械としての設計思想の中に、その車が生まれた時代の熱量と “ お国柄 ” を読み解く。
「50年代の欧州車には、第二次世界大戦の荒廃から立ち上がろうとする強烈な気概が宿っています」
と清水氏は指摘する。徹底して理詰めでエンジニアリングを追求するドイツ。一方で、エンジンの咆哮やディテールの造形に魂を込めるイタリア。ドライビングポジション一つとっても、それぞれの国が考える“自動車の理想”は驚くほど異なるという。
「ポルシェのようなリアエンジンの車両を操る際、後ろ足に力を込める馬のような躍動感を感じることがあります。それは現代のデジタル化された車両では決して味わえない、機械との濃密な一体感なのです」
清水氏は、こうした “ 機械との対話 ” を何よりも尊重している。
FIVAアジアアンバサダーとしての使命…文化遺産の継承
現在、清水氏は国際クラシックカー連盟(FIVA)のアジアアンバサダーとして、旧車の価値を “ 古い車 ” から “ 文化的遺産(文化財) ” へと昇華させる活動に尽力している。
「欧州では、クラシックカーは国宝や重要文化財のように扱われます。しかし日本では、13年を超えると重課税の対象になるなど、貴重な資産を海外へ流出させてしまうような仕組みが残っています」
と、日本の現状に警鐘を鳴らす清水氏。その上で、
「車両の車体番号、エンジン番号、変速機の番号に至るまでを記録した “ カルテ ” としての『FIVAカード』を作成することは、国際的な資産価値を維持するために不可欠です。欧州では、こうした歴史的なエビデンスが厳格に管理されていますが、日本ではまだその認識が乏しいのが現状です。メーカーと連携し、リバースエンジニアリングによる部品供給やデータ管理の体制を構築することこそが、日本の貴重な自動車文化を海外流出から守る唯一の手段であると思います」
と清水氏は熱く訴える。また、清水氏は近年盛り上がりを見せる「ヤングタイマー(製造から20年以上を経過した車両)」の重要性にも言及する。かつて少年時代に憧れた1990年代から2000年代半ばの車両を、経済的な余裕を得た大人が再び手に取る。この情熱を支えることも、未来のクラシックカー文化を育む上で欠かせないプロセスだと力説する。
ベストカーは選ばないという「美学」
33台というこれまでの車の旅路の中で、清水氏はどのような車両を「最高の一台」と定義するのか。その問いに対し、清水氏はエンスージアストらしい、実に示唆に富んだ返答をくれた。
「自分のベストカーを訊ねられても、答えてはいけないんです。今、手元にある車たちの前で1番を決めてしまうと、他の車たちが“いじけて”機嫌を損ねてしまいますから…。会話を聞いているのか、不思議と調子が悪くなるんですよ」
機械は単なる無機質な物質ではなく、愛情を注ぐべき「生き物」である。この思想こそが、清水氏を一台一台の歴史(ヒストリー)を次世代へ繋ぐ「継承者」たらしめている。
車は外の世界を知るための「最高の相棒」
最後に、車離れが指摘される若い世代へのメッセージを求めたところ、清水氏は優しく、しかし確信に満ちた口調でこう締めくくった。
「車とは、自分の意志で外の世界へ踏み出し、新しい空気、新しい人々に出会うための最高の相棒です。まずは自分でハンドルを握り、家から一歩外へ出るという経験をしてほしい。その実体験こそが、自分のアイデンティティを確認する術になるのです」
横浜の美しい新緑の影で、清水氏は今日も愛車たちと語らっている。それは、過去から未来へと繋がる「文化」という名の、終わりなき旅路である。


