◆歩行者を被害者にしないために【歩車分離信号】昨年末、警察庁が自動運転のレベル3に関する道交法の検討結果を発表した。なかを見ると、携帯電話は手で持ちながらかけてもよし。ついでに、カーナビ画面も見てよしとなり、それはつまり、ナビ画面にSNSやテレビを映して見てもよいということ。ドライバーとしては浮足立ちそうだけれど、でもこれ、技術的にはまだ、高速道路上だけで、しかも最初は渋滞時オンリー。一般道で楽ができる時代はまだまだ先なのである。一般道で技術的にむずかしいのは、すでに何度も書いているように歩行者である。歩行者を被害者にしないためのさまざまなアイディアや技術開発が進められているけれど、目指すべき方向すら見えていないというのが私の実感。ええ、最近は老眼も進みましたけれどね。たしかに、いまは被害軽減ブレーキの歩行者対応が進み、反応してくれるようになった。夜間でも、国交省のアセスメントではいい成績をとるクルマもでてきた。でも、それってまだ「条件がそろった場面でなら」だ。◆歩行者とクルマの動線がクロスする、ということ子どもの事故を防ぎたいと考える私としては、道の真ん中で立っている人とか、ゆっくり歩いてきた人ではなく(現在の技術で事故低減できる場面)、子ども特有の急な飛び出しに対応していただきたい。そして、交差点での右左折時巻き込みも、早急に対応していただきたいのである。そう、よく報道でも目にする、「横断歩道横断時に、左折巻き込み」というパターン。「なんで、横断歩道をわたっている人をはねるんだよ! 横断歩道は歩道でしょうが。人がいたら一時停止だ、ばかもの!」と、叱りつけたくなるやつだ。とくに、日没がまだ早いこの冬の時期とか、小学校に入学した一年生が、通学に慣れ始めた6月は、小学生の事故が多い。ほんとに、親じゃなくても、ランドセルが救命救急センターにおかれている図は、たまりませんよ。この交差点での右左折時の事故をなくすべく、いま、さまざまな安全技術の開発が進められている。クルマ単体でむずかしいなら、道路側に検知器をつけて、ドライバーに伝えようという試みもやっている。だけど、これ、横断歩道をわたりはじめる前の、歩道にいるときの歩行者の動きを見極めるのがとてもむずかしい。そもそも、交差点での事故が起きるのは、歩行者とクルマの動線がクロスするからだ。人がわたっている真っ最中の横断歩道を、クルマも通過できるようになっているから。これって根本的に信号のパターンがおかしくないですか。だから、「歩車分離信号」である。歩行者の動きと、クルマの動きを信号機で分けてあげるという、信号機がそもそも持つ「交通整理の役割」を果たさせるのである。◆歩車分離信号をいかにして導入するかむっかしは、銀座四丁目のスクランブル交差点のような歩車分離信号しかなかった。だから高度成長期のなごりを受けた人たちが、「クルマが渋滞する。経済成長を妨げる」なんてことを言って相手にしなかったけれど、今やデータの時代。現に、交通量、交通の方向(右左折か直進か)、歩行者の数などを時間帯に応じて調べ、適切な歩車分離の信号運営をしているところが、どんどん出てきている。これをもっと加速して広めていけばいいのにと思う。地方では、交通量も少なく、歩行者も少なく、歩行者は押しボタン式になっているところもあるくせに、歩行者の横断中にクルマが右左折して事故を起こすような交差点がたくさんある。こういうところこそ、歩車分離信号にしようよ。渋滞なんて関係ないもの。どうなんでしょうね、地元警察。彼らからかすかに聞こえてくる言い訳は、「これまでの信号パターンを変えると、ドライバーが間違う」というもの。ああ、それ、わかるなあ。年齢重ねてくると、しみついた行動はそう簡単には変えられないからね。だけど、そんなこと言っていたらいつまでたっても歩車分離信号を導入できないのも事実。これから、ますます進む高齢化。クルマ大好きで、運転しまくって青春を過ごし、相変わらずクルマ愛にあふれている団塊の世代がまだ元気なうちに、運転しまくるこの世代の高齢化が進んでどうにもならなくなる前に、とっとと導入したほうがいいと思うんだけれどね。岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、ノンフィクション作家として子どもたちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。コラム『岩貞るみこの人道車医』を連載中。