ひところの日本車では4ドアハードトップが流行りだったが、その文脈をさらにスタイリッシュ化したのが、似たもの同士でもあったこの5車だった。◆トヨタ・カリーナED(1985年・初代)“エキサイティング・ドレッシー”の意味を込めた『カリーナED』。全高1310mmとスポーツクーペ並の低全高とBピラーレス構造で、とにかくスタイリッシュさにこだわって誕生したモデルだった。サッシュレスドアとピラーレス構造の、今では懐かしい4ドアハードトップでもあった。メカニカルコンポーネントは同時デビューの4代目『セリカ』(「私をスキーに連れてって」で有名)と共用し、2525mmのホイールベースも共通。なので4ドアであるが後席の足元、頭上スペースは限られていて、クルマ通からは「こんな狭い4ドアはどうなの?」の声も。とはいえ当時の女子大生など女性でも自分で運転するクルマとして選ばれるなど人気が高く、筆者の身の回りにも、そういうユーザーが少なくとも2人はいた。エンジン回転数感応型パワーステアリング、ワイパーレバー部のノブで操作するオートドライブといった懐かしい装備も。◆マツダ・ペルソナ(1988年)『カリーナED』のフォロワーとしてマツダから登場したのがこの『ペルソナ』。名女優のイングリット・バーグマンを引きあいに出し(カタログに顔写真も載っている)、彼女にも捧げられる官能的美意識を重視したクルマでもあるとの説明も。“インテリアイズム”と表現し、内装の設えにこだわり、とくに後席はラウンジ型リヤソファーシートと呼び、レザーシートは手縫い、仕様によって、置き場所が動かせるアームレストクッションが備えられた。灰皿はメーカーオプション、エアコン拭き出し口のスイングルーバーは全車に標準装備。ピラーレスで、前席要シートベルトは後部ドアに内蔵されていた。◆日産・プレセア(1990年)『ペルソナ』がバーグマンだったのに対し、桐島かれんを見返り美人に仕立ててからませたCMで登場したのがこの『プレセア』。写真のカタログはその初代のもので、ベースとなったのは『サニー』。4ドアハードトップであるのは他車と共通ながら、意外にもBピラーを残したボディ構造を採用。このためにスポーツカーではないが、優しくもしっかりとした乗り味だった記憶がある。外観スタイルはシンプルで、インバース形状のヘッドランプとそれに呼応させたテールランプがアクセント。PRESEAの車名オーナメントは、確か、ジュエリーをイメージしてデザインされたものだった。初代に続き、2代目まで登場している。◆トヨタ・カローラ・セレス/スプリンター・マリノ(1992年)『カリーナED』を登場させたトヨタが、ひとつ下の『カローラ』クラスのスペシャルティモデルとして登場させたのが『カローラ・セレス/スプリンター・マリノ』。全体に丸みを帯びたツルンとシンプルなスタイリングは、なかなかチャーミングなものだったが、当然ながら実用性、居住性よりも雰囲気、デザインを楽しむためのクルマ、であった。この丸みを帯びたスタイリングや内装のデザインは、同世代のトヨタ車各社と共通のテイストだった。◆三菱・エメロード(1992年)同世代のセダンの『ギャラン』が3ナンバー化(といっても全幅1730mmで今としてはコンパクトだが)し、空力にこだわったスタイリングを得ていた。『エメロード』は、そのスペシャリティ4ドアハードトップとして登場。滑らかで豊かな曲面フォルムや、大きくラウンドしたフロントガラス、大胆にサイドに回り込んだリヤガラス、3次元曲面のサイドガラスを採用し、宝石の名に相応しいスタイリッシュなフォルムを実現(当時の広報資料より抜粋)し、Cd値は0.29を実現。さらに2リットルと1.8リットルのV6エンジンをメインに据え、高品質な走りも両立させていた。
車をテーマとした映像作品を募集…日本発「第3回 国際自動車映画祭2025」開催 2024.11.24 Sun 17:00 International Auto Film Festa実行委員会は11月19日、第3回目…