今年、誕生40周年を迎えたスズキ『アルト』。リアルタイムでデビュー当時をご存知の方も、あるいは生まれる前のことです……という方もさまざまだろうが、その名を知らない人はいない存在であることは間違いない。今あるモデルで実に8代目となるが、これまでに148の国と地域で累計1476万台を販売(2019年3月末)、とくに海外での販売比率は日本国内を上回っていて、880ccエンジン搭載車はインドでは1983年から、他方パキスタンでは今年(2019年)から660ccの現行モデルを発売している。◆「アルト47万円」の衝撃そんな『アルト』だが、歴代モデルで1番インパクトがあったのはやはり初代だろう。写真はその時のカタログで、表紙からして、当時の町のモーター屋さん(2輪ショップ)の店先のカタログラックに置かれている風景がいかにも馴染みそうな、シンプルで力強いデザイン。全8ページと作りは質素なものだが、2輪のカタログが2つ折り、3つ折りのものが一般的だったことを考えれば、十分に奢られたカタログだったのかもしれない。このクルマで何といっても印象的だったのは「アルト47万円」と銘打った宣伝だった。『アルト』はスズキの鈴木修社長(当時、現会長)が社長就任後初の商品で、当時、販売に勢いがなかった同社の軽自動車の状況を何とか打破すべく、勝負に出たクルマだったのだ。詳細は省くが、製造コストより安い値付けなのでは?と言われたほどだったが、設計段階から軽量化、合理化を徹底。さらに乗用車には課税された物品税(当時)のかからない商用車とし、全国統一価格を打ち出すことで、手頃さをアピールした。当時、新車の軽自動車の平均価格が65万円だったというから、47万円の『アルト』がいかに破格だったかがわかる。そうした甲斐あって、『アルト』は当初の目標月販台数5000台に対し1万8000台の受注があり、大ヒット作となった。◆割り切りと工夫に溢れた「あると便利なクルマ」クルマは、ざっくりと言うと、追って登場した乗用車の『フロンテ』が4ドア+ガラスハッチだったのに対し、その2ドア版といったところ。とはいえ登録上は商用車だったため、後部スペースを荷室と後席が半々に割り当てられており、後席は背もたれはほとんど直立、足元スペースも皆無に等しかった。実は『アルト』は、近郊を中心に当時も普及していた“軽トラ”に代わるクルマとして行ける……と当時の鈴木修社長が発案したクルマで、ほとんどの場合、人は1人か2人が乗れて、荷物が積めればそれでよい……との見立を形にしたものだった。バックドアはバン方式で床面の高さから大きく開くデザインで、開口部は高さ670mm×幅1180mmとたっぷりととられていた。助手席側ドアの鍵穴は省略、床もカーペットではなくビニールシート敷き、シガーライターやラジオはもちろんオプション。とはいえボンネット先端のオーナメントはボンネットのオープナーを兼ねていたりと、割り切りと工夫に溢れていた。エンジンは2サイクルの3気筒、FF方式の採用で走行性能も十分なものが与えられた。また数えると57品目にもおよぶ専用のオプション品も用意され、オーナーが自分仕様に仕立てて乗ることもできた。「あると便利なクルマ」、今風にいうと親父ギャグのように聞こえるコンセプトは、多くのユーザーの生活スタイルのなかで、まさにそのとおりになったのだった。
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