今やハイブリッドの代名詞となったトヨタ『プリウス』が20周年を迎えた。合わせて、今年はトヨタハイブリッド車の世界販売台数が1000万台を突破。自動車ライターの山口京一氏がその歴史をふり返る。◆先行の始まりトヨタ プリウスの語源はラテン語「先行する、優先する何か」である。もうひとつ、「以前」の意味もある。世界の量産量販ハイブリッドカーへの動きが、プリウスから始まったのは厳然たる事実である。プリウスを生んだG21プロジェクトの“以前"は、トヨタにとり苦闘の時期であった。1990年代初半は、円高により経営利益はゼロに近くなっていた。当然、緊縮態勢となり、開発部門はVE(バリュー・エンジニアリング)、「価値技術」というと聞こえがいいが、既存利用・流用一辺倒になっていた。危機感を抱いたのはVE推進前線と思われがちな商品企画部門長で、金原淑郎副社長に進言した。新しいことをやらねば、未来はひらけない。既存流用でない、まったく新しい、ものすごく“いいクルマ"、具体的には直噴を含む新エンジンを提案した。燃費向上50%を目標にプロジェクトがスタートした。志をさらに高くと燃費倍改善を命じたのが金原副社長の後継者、和田明宏副社長とすでにEV、ハイブリッド、燃料電池研究を推進していた塩見正直常務であった。1994年秋、G21計画が正式承認され、本格的構想、開発を指揮したのが内山田竹志チーフエンジニア(現会長)である。当初、和田、塩見の燃費倍改善案ハイブリッドと先進型エンジン・高効率自動変速MTを並行研究開発した。1995年東京モーターショーで発表された『プリウス コンセプト』は、ハイブリッドと先進パワートレイン両方を盛り込んでいた。エンジンはD-4直噴改良型、モーターアシスト、CVT、そしてキャパシターを組み合わせていた。内山田CEにハイブリッド1本を命じたのは豊田章一郎会長(当時、現名誉会長)であった。「ハイブリッドに注力せよ、通常パワートレイン改良は一切やるな」。まさに最高首脳決断(エグゼギュティヴデシジョン)であった。いまや、プリウスはハイブリッドの代名詞になるほどの知名度だが、トヨタの発明ではない。内山田CEは、前例80を検索、30を精査したという。◆プリウスはEV性を持つ最近、欧米主要国、中国の政府政策による規制案に対応すべく、欧米メーカーがEV市販、あるいは市販計画を発表している。日本メーカーの出遅れに批判的なメディア論調を見聞きする。八重樫武久・初代プリウスTHS(トヨタ・ハイブリッド・システム)開発リーダーは、トヨタのEV技術蓄積がハイブリッド・シスムテム構築の基礎にあったと話した。1973年東京モーターショーに展示された『EV2コンセプト実験車』、そして1990年代カリフォルニア州ZEV(ゼロ排気)規制対応では『RAV-4』ベースのEVをモニターリースした。驚いたのは、ZEV施行直前に欧米日メーカーが開発中のEVをデトロイト郊外フォード・テストコースに持ち込んだワークショップ。なんとトヨタは、唯一市販車タウンエースEVで参加したのだ。プリウス、そして多種トヨタ、レクサス車種が搭載するTHSは、巧妙な遊星ギア機構と制御プログラムを用いた、継目、段差のない滑らかなエンジン、モーター駆動を分割するシステムだ。プリウス自体、世代により異なるが、EV度は着実に伸びている。かつて、トヨタ技術トップに先進技術適用の原則を聞いた。「適時・適地・適車」である。それはEVにも適用している。 ◆プリウスGEEK・NERDとは 2016年デトロイトの米自動車技術会SAE大会の内山田竹志会長の基調演説は、会員技術者の意表をつく出だしであった。“GEEK=オタク”、“NERD=奇人”とは何だと問う。「私はプリウスGEEKであることを誇りに思う」、「私はひとりのタフなNERDである」。そして結ぶ、「オタク、奇人=ブレイン(頭脳)パワー」と。トヨタ販売部門は、当初、初代プリウスの商品力に懐疑的であったという。メーカーの技術象徴として少数製作販売するケースは多々ある。しかし、約4万人の日本人ユーザーは、燃費性能では卓越ししているが、おとなしい走り、先進ゆえに生硬さの残るシャシー、そして愛嬌のあるスタイルをした初期プリウスを受け入れた。素晴らしいGEEK集団である。プリウス現象は、アメリカでも起きた。トヨタは2000年に「フルチェンジに匹敵する」マイナーチェンジを実行し、世界市場にプリウスを送り出した。エンジン、駆動モーターともに、欧米交通環境対応にパワーアップした。米市場発売後のロサンゼルスモーターショーでの出来事だ。会場前道路にプリウスとホンダ『インサイト』が列をなし駐車している。オーナーたちが掲げるプラカードは、それぞれの実燃費が誇らしげに大書きしてある。控えめなメーカー場内展示に満足しないオーナーたちのデモであった! 仕掛け人、“杞憂する科学者連盟"のデイヴィド・フリードマンは、熱烈なハイブリッド提唱、論文著者であった。オバマ政権で国家ハイウエイ交通安全局長代行となる。2代目プリウスは、コンパクト・セダンからミッドサイズ、5ドアに変身した。空力に優れたスマートで知的デザイン、向上した走行性能、卓越した低燃費は、爆発的人気を呼んだ。革新に対する批判勢力の出現は世の常だ。プリウスの人気が高まると抵抗の声が大きくなる。一部欧米勢の否定的コメントを発したとか。イギリスの科学誌が某有識者のプリウス批判を掲載した。誌上で猛反論したのがアレックス・モールトン博士、MINIなどのサスペンション開発者、自己ブランド小径車輪自転車で有名な技術者で、2代目、3代目プリウスを愛用した。驚いたのが英政府公用車局2006/7年次報告で、表紙から随所にプリウスの写真を掲載されていたこと。閣僚車も含め、同局所有車191台中84台がプリウスであった。前期対22%のCO2排出削減を果たしたと記す。米トヨタ販売には「堤工場2代目プリウス組み立てライン」…大きな幔幕が張られていた。ハイブリッド販売台数ナンバーワンと調査会社初期品質受賞への感謝を示していたのだ。3代目プリウスは、欧米の大都市で多くのプリウス・タクシーを見た。アメリカ、そしてなんとドイツ・ミュンヘンのプリウス・ドライバーは、燃費経済と信頼耐久性が理由と告げた。◆PHVも同時に進化プリウスを主とするトヨタ ハイブリッド車の世界販売累計は1100万台をマークした。今や、世界の主要メーカーがハイブリッド車を市販している。プリウス第2世代期の米ビッグツーの開発トップの言葉を覚えている。通常強気のボブ・ラッツGM副会長は、「率直に言って、トヨタはハイブリッド開発において2、3年先行したと思う。彼らは誰よリも早くハイブリッド技術を信じ追求した。ひとつの賭だった」。フォード世界技術担当役員、リチャード・パリー-ジョーンズもトヨタの2年先行を認めた。GMはシボレー『ボルト』となる プラグインハイブリッド(PHV)、フォードはアイシン・ハイブリッド・システムを用いたモデルを開発しているところだった。現在、世界の多くのメーカーは、PHVが電動化において、もっとも有望なステップと認め、市販車を加えている。2006年トヨタ環境フォーラム講演では、第2世代プリウスを60kmEV走行するためには、ニッケル水素電池を12個必要とするとのこと。豊田市トヨタ本社を出発した第2世代プリウスは、Ni-MH電池2個を搭載。「左折し、しばらく先のダラダラ坂を登りきる所まではEVで行けます」、田中義和第2、3世代PHV担当CEの言葉通りだった。リチウムイオン電池を搭載した第3世代PHVは、首都高横浜-羽田を走れた。新型プリウスPHVの事前サーキット試乗で強く印象付けられたのは、その操安性だった。HVより大きな電池パックをリアに積むのは、前後重量配分にとってマイナスが常識。入社2年というヤングベテラン(この走りに“ベテラン"呼称を呈する)の執念のチューニングと聞いた。動力性能もモータージェネレーター2個による向上が著しい。プリウスは、絶え間なく先行している。山口京一(Kyouichi “Jack” Yamaguchi)|自動車ライター東京都台東区生まれ(当時は東京市浅草区)。戦後50年代の不況と就職難時期に米極東空軍自動車輸送部通訳、安全担当などを務める。その後、BMWとBSAインポーターに勤務。3年間の在英経験もあり、同国自動車にも通じる。1964年からは国内、英米自動車メディアへ寄稿を行う。現在、CAR GRAPHIC、オクタン、米SAE誌、 WEBなどで執筆。著書に『ライレー E.R.A. リーフランシス』、『マツダ RX-8』などがある。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)名誉会員、英ギルド・オヴ・モーターリングライターズ会員、日本カーオブザイヤー評議員、米SAE(自動車技術会)発刊オートモーティヴ・エンジニアリング誌・WEB アジア担当エディター。プリウスのホームページはこちら
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