残業440時間! 60年代、日産車のカタログ制作現場は…ローレルC30を語る会2023 | CAR CARE PLUS

残業440時間! 60年代、日産車のカタログ制作現場は…ローレルC30を語る会2023

イベント イベントレポート
ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023
  • ローレルC30を語る会2023

東京都武蔵村山市の日産東京新車のひろば村山店で4月9日、「ローレルC30を語る会」が開かれ、初代日産『ローレル』のエクステリアデザイナーとグラフィックデザイナーが、当時のカタログ制作の舞台裏を語り合った。

C30型の初代ローレルのオーナーズクラブが、当時の生産拠点だった日産村山工場跡地にある日産ディーラーを借りて行っているイベント。トークショーがメインで、今回で3回目となった。

聴き手は、初代ローレルのエクステリアデザイナーであり、現在は「北のデザイン研究所」を主宰する東海大学名誉教授の澁谷邦男さん。今回はその初代ローレルなどのカタログ制作を一手に担った、元凸版及び日産契約デザイナーの吉野誠さんがゲストとなり、1960年代の日産車カタログ制作の激務ぶりを語った。

吉野さんは多摩美術大学図案科を卒業後の1963年、凸版印刷サービスセンターに入社し、日産の宣伝部署をフォローするべくカタログ制作に従事する。当時日産のカタログ制作には、外部印刷会社が印刷受注のためにサービスとして手伝っていたというから驚きである。当初『セドリック』の1964年型スペシャル50系と、同65年型130系のカタログを制作。そして1968年発表のローレルC30型のカタログ制作をその前年から取り組んだ。

「マル秘」度の高い車は、漏洩を防ぐため撮影はスタジオで行うのは当然であるが、当時は大した設備がなく、「追浜工場の中庭にサーカス小屋みたいにテントを張ってスタジオにしてました。ここは太陽光によるスタジオで、夕方になるとボディが赤く染まるので仕事は終了、ということになる。次に追浜のテストコースの空き地にあった倉庫をスタジオとして利用しましたが、仕事が立て込むと朝夜9時の2交代制でしのぎました」(吉野さん)。撮影用モデルは人目に付かないよう外部テントの陰に隠しておいたが、台風でテントが倒れ、車が全滅したこともあったという。

制作スタッフは日産宣伝部をはじめ、カメラマンや照明、大小道具、イラストレーター、コピーライター、スタイリスト、車両搬出入などと、現在とも同じようであるが、吉野さんは本来グラフィックデザイナーでありアートディレクターながら、コンセプトワークからラフづくり、人員配置、ロケハン、時には運転手のモデルまでと、ほとんどすべてをこなしたという。「要はチームワークを保つための旗振り役です。スタッフ30人。その弁当の味噌汁の吟味までして(笑)」。さらに「当時、私、440時間の残業というのがあった。ほとんどうちに帰ってない。新婚なのに。でもやりがいがありました」とも。時代といえばそれまでだが、すさまじい激務とパワーである。

その後ローレルのマイナーチェンジを期に、野外での撮影も可能となる。撮影車両は本番生産前の第1次および第2次生産試作車を使用した。早朝の北海道庁前庭でのゲリラ撮影や、登録ナンバー無しの撮影車両で何度も銀座4丁目を走行するなど、かなりスリリングなエピソードも披露された。

話題は、昭和に彩られた様々な仕事内容がこれでもかと出てくる。まだコピー機がなく写真を切り貼りして製版にしていたことや、格調あるセダンとダイナミックなハードトップという2タイプのカタログづくり、細かな装備表に手を焼いたこと、オイルショックで紙が薄手になり色の種類も限られたために工夫を凝らしたことなど、あれこれ大変であったことが分かる。が、どこか楽しげな吉野さんの述懐である。

「今はコンピュータで作ったカチンカチンのカタログ。温度がない、熱がないんです。あの頃私は、車だけど車を撮ってるとは思わないようにしてました。人間だと。それがテーマだと思ってました。ローレル? 上品な淑女でしたねえ」

吉野さんは、今回聴き手に回った「上品な淑女」のデザイナーである澁谷さんと同じ82歳。昨年このイベントで初めて知り合った。長い年月を経て、その縁をローレルが取り持った。「まだデザイナーの地位が確立される前の、グラフィックの人もいろんな苦労をしたんだなあと思いました。もうひとつは、アナログ最高の時代だったということ。その時期を吉野さんはいろいろ工夫していたし、私もアナログ時代の最高潮の時期に仕事ができたんだなと思います」と澁谷さん。「アナログをひとつひとつ自動化したのがデジタル。そういう意味ではデジタルはわかりやすいんです。物事の原理やプロセスは変わりない。一見すると今は進歩しているようですが、ものづくりは同じだなとつくづく思います」。

実は、この日のイベントに協力した全日本ダットサン会の佐々木会長も82歳と、3人が同じ歳ということが判明。質問コーナーでのやりとりなどでも大いに盛り上がった。また、C30型のローレルは、セダン1800デラックスBが2台とハードトップ2000GX2台を展示。ダットサン会からも『ブルーバード』『フェアレディZ』『サニー』が並んだ。

《嶽宮 三郎》

関連ニュース

特集

page top