今回はあえてリヤの写真ばかりを集め、スタイリングを目で楽しんでいただくことにした。近年では欧州車でもクーペ風5ドアが増えてきたが、そう考えると日本車は先んじていた? ヒットしたかどうかは別の話として。◆トヨタ・カローラ5ドア(1983年)FF化、当初からドアミラー装着など近代化した5世代目に設定。単に“5ドア”と呼ばれていたが、クリーンな欧州車の香り漂うスタイリングだった。後席は全車ともリクライニング機構付き。◆トヨタ・スプリンター・シエロ(1987年)ハードトップ調だったセダンをベースに5ドア化。リヤクォーターウインドにカーブドガラスを用い、ガラスが全周を占めルーフを浮かせたスタイリングが個性を放った。◆トヨタ・コロナ(1978年、1983年、1992年)『コロナ』は実は3代目時代(1965年)に日本初の5ドアを設定した。写真は、スプレンダー・オレンジのクルマが’78年に“リフトバック”として復活した時のもの。右下はFF登場の際に設定されたモデル、その左は’92年登場の10代目に設定された“SF”。◆トヨタ・ビスタ(1982年)『カリーナ』の兄弟車(セリカ・カムリ)からFFにモデルチェンジした『カムリ/ビスタ』の、『ビスタ』に設定されていたのがこの5ドア。直線基調のシンプルなクルマで、FFのパッケージングを活かした広い室内空間が特徴だった。◆日産スカイライン・ハッチバック(1981年)『スカイライン』初の5ドアで、6代目の発売から1カ月遅れて発売。当時のニュースリリースには“多用途性とスポーティ感覚を兼ね備えた5ドア”と記されている。日本車で初めてテンパータイヤを搭載した。◆日産スタンザFX(1981年)FFに一新された2代目に進化した『スタンザFX』に設定。カタログには“5ドアハッチバック”と表記されていた。1385mmと当時としては全高を高くとったパッケージングが秀逸だった。◆日産プリメーラ(1991年)“P10型”初代『プリメーラ』には、イギリス生産の5ドアが設定された。グレードは「2.0eGT」で、2リットルエンジン(ハイオク仕様)を搭載、駆動方式はFFのみの設定。◆ホンダ・クイント(1980年)海外仕様車の車名は『クインテット』。5ドアを車名で表わした、当時の『シビック』4ドアセダンの兄弟車として誕生した。当時発足したホンダベルノ店専売車種。いかにも欧州実用車調の外連味のないスタイリング。◆ホンダ・クイント・インテグラ(1985年)初代は『クイント・インテグラ』として登場し、3ドアに少し遅れて追加設定されたのがこの5ドアだった。ホイールベースは2520mmで3ドア(2450mm)よりも長い設定。大きなテールゲート、分割式リヤシェルフを装備。◆マツダ・カペラ5ドアハッチバック(1985年)アラン・ドロンをCM、カタログに起用した4代目『カペラ』自体の登場は1982年。5ドアは’85年のマーナーチェンジ時に姉妹車のフォード『テルスター』と同様に設定された。2リットルターボ(MTのみ)、2リットルディーゼルも設定。◆アンフィニ・MS-6(1991年)、フォード・テルスターTX5(1991年)マツダ『クロノス』の5ドア版として設定されたのがアンフィニ『MS-6』。カタログの諸元表の表記は“5ドアセダン”。4ドア背だのクロノスとは全高が10mm低いが4695×1770mmの全長×全幅、ホイールベース(2610mm)は共通。『テルスターTX5』はフォード版で、フロントおよびテールランプ&ガーニッシュまわりのデザインなどが専用化されていた。◆三菱ギャラン・スポーツ(1992年)6代目『ギャラン』の兄弟車にも5ドアの『エテルナ』があった。写真のモデルはその次の世代で、このモデルは、それまで輸出専用だった5ドアに、ルーフレールや大型リヤスポイラーを装着、RV風に仕立てたもの。リヤスポイラー中央のステーはかなり存在感があり、“もしも旅客機にルームミラーがあったら垂直尾翼はこんな風に見えるのだろう”と、当時、RV誌のレポートに書いたことを思い出した。