クルマとしての格好よさ以上に、“鑑賞”していたくなる美しさ、個性が忘れられないアートなクルマたち。前回のクーペに続き、今回は比較的最近のセダン、ハッチバックなどを思いのまま選んでみた。◆ユーノス500(1992年)縦×横295mmのカタログの表紙は、車名とエンボスのユーノスのロゴだけをあしらったシンプルなもの。ユーノス専売モデルとして登場した『500』は、当時のマツダが提唱していた“響きのデザイン”の第一弾で、上を向いた面を多用した3次元曲面ボディは光のリフレクションを意識した造形だった。5ナンバーのコンパクトなサイズで『ランチア・アウレリア』のような高級感も意識。塗装は高品位な4層ハイレフコート。エンジンには当初、2リットル、1.8リットルのV6のみを設定し、走りの質にもこだわっていた。写真のボディ色はイメージカラーだったメイプルレッドMc.とブレイブブルーMc.だ。◆日産 プリメーラ 3代目(2001年)キャッチフレーズは“一歩先行く大人のインテリジェントセダン&ワゴン”。『プリメーラ』としては3代目だったが、正統派欧州調だった1、2世代目から“作風”がガラリと変わり、モノフォルムのいわばモード系というか、どこかの美術館に展示したくなるようなクルマに。欧州市場向けには、ほかに歴代同様5ドアも用意された。日本、ドイツのデザイン賞も受賞。ボディサイズは全幅が1760mmとなり3ナンバー化。センターメーター、集中コントロールスイッチなど内装は外観以上に奮ったものだった。◆WiLL Vi(2000年)パナソニック、花王、アサヒビール、近畿日本ツーリスト、コクヨ、江崎グリコら異業種コラボの一環として生まれた『WiLL』シリーズ。トヨタ車ではあったが、トヨタのエンブレムはどこにもなかった。『Vi』は当時の『ヴィッツ』をベースに仕立てられたモデルで、カボチャの馬車のイメージのユニークなスタイリングが特徴。手動式のキャンバストップも用意されるなどし、チャーミングなコンパクトカーに仕上げられていた。室内もソファ風のベンチシートを始め、外観に見合ったほのぼのとしたデザインを採用、コラム式のシフトレバーやリクライニング調節のレバーは球形。シリーズにはほかに戦闘機のような『WiLL VS』、肩の力がすっかりと抜けた風の『WiLL CYPHA』があった。◆トヨタ カリーナED 初代(1985年)FF化した4代目『セリカ』登場時、『コロナクーペ』とともに設定された兄弟車。1310mmの低全高をもち、トヨタ車では初めてのセンターピラーのない4ドアハードトップだった。当時は「4ドアなのに後席の居住スペースを犠牲にするとは何事だ!」の論調もあったが、メルセデスベンツ『CLS』など4ドアクーペの登場はずっと後のことで、その意味では先を行くスタイルでもあった。今あらためて眺めてみると、素直な気持ちで美しい。◆ルノー アヴァンタイム(2001年)ミニバンの『エスパス』をベースとしたFF車。工場はマトラ。カタログには“クーペ・ド・アヴァンギャルド”のフレーズが記されているが、カテゴリーにとらわれないユニークなクルマで、大きなドアを開けると、やや着座位置が高くゆったりとした室内スペースが用意されていた。特徴的なスタイリングは同世代の『メガーヌ』とも共通しており、後部は見た目の形状がそのまま開くバックドア。◆シトロエンC4 初代(2010年)『C4』名義で初めてのモデル。写真のカタログは後期型のものだが、おおらかなアーチ上のルーフラインは、Cカテゴリーのライバル車の中にあって、ひときわ個性を放ったものだった。当時のシトロエンはどのモデルも外観デザインの魅力が大きいモデルが揃っていたが、『C4』は実用車でここまでデザインを攻めることに挑んだ(次の『C4』はその反動のように、あたり前の姿だったが……)。センターパッドが固定式のステアリング、透過式メーターなど、内装もユニークだった。◆フォードKA(1999年)“オブジェに乗ろう”“その曲線は、未来のペンで描かれた”……。日本仕様のカタログにはそんなコピーが踊る。ベーシックなAカテゴリーながら、まさしく走るオブジェのような超個性的なスタイルが特徴。日本仕様はエアコンの改良やそれに伴うフロントバンパー形状の変更など実施。ガラスルーフも標準だった。が、MT車のみの設定だったため広く認知されず、2年足らずで姿を消したのは残念なことだった。
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