初めてのマイカーのこと、今でも時々懐かしくて思い出すことがある。免許を取って初めて乗ったクルマ、は当時我が家にあったマツダ/アンフィニ『MPV』だ。MPVの初代モデルで、ヒンジドアのモデル、ミニバンというよりもステーションワゴンに近い成り立ちだったといえるかもしれない。とはいえ、それほど荷室が大きかったわけでもなく、その割には随分当時としては幅の広いクルマだった。ハンドリングもよく、決してパワフルではないけれど、踏めば必要なトルクがいつでもたちまち溢れ出す気持ちいいドライバーズワゴンだった。結局17万kmくらいまでのほとんどを私が乗った。免許取り立てだったからあちこちぶつけたりもしたけれど、いろんなところへ出かけたものである。秋田県の八郎潟までソーラーカーレースに参戦するというので遠征したり、研究室の仲間とぎりぎりまで実験が終わらなかった仲間を待って真夜中に出発して、卒業旅行代わりで四国にうどん食べに行ったり、と、楽しい思い出の詰まったクルマである。先頃MPVという名のモデルは生産を終了し、3列シートはSUVタイプの『CX-8』にそのポジションを譲ったマツダのラインナップ。あのCX-8が世に出た瞬間、かつての思い出と重なる部分があり「もしや」と思ったものだ。というのも、もともと初代MPVは、いわゆるユーティリティを最優先させた「ミニバン」に区分することを躊躇するようなクルマだったのだ。荷物がとにかく積めるとか、パッセンジャーのスペースのゆとりを最優先させた種類のクルマではなかったのだから。それよりも、長距離も快適で、適度にファンな要素を内包したハンドリングを持った多人数乗車を可能にした実にニッチなクルマだった。CX-8に試乗すると、その予感は確信へと変わり、見かけによらない身のこなし、広大さではなくジャストな節度を強調したパッケージに、今となってはもうふた昔も前の事、初めてのクルマの思い出が重なったものだ。実際に初めて購入したクルマという点では、大手自動車買取店に勤務していたいたときに、実車を見ないで社内の在庫からポチッと発注して購入したメルセデスのミディアムクラス『300E4マチック』ということになるだろうか。前出のMPVから乗り換えで購入、当時でもそこそこ年季の入っていたこのクルマを見ないで決めるなど、今の方がむしろ二の足を踏んでしまいそうである。子供のころから読み漁っていた『カーグラフィック』誌の長期テスト車に同じ頃の「260E」があり、コンスタントにマイレージを重ねるその姿が私にはとても勇ましく思えた。日本ではメルセデスというだけで高級車だが、その高級さが決して華美さではなく、質実へのこだわりに振られていたことに大いに傾倒した。終電で帰宅、そのまま駐車場の愛車で夜通し走って京都まで行って日帰りなどという芸当も普通にこなした。意識の方向にクルマが進んでいく。そのくらい直進性も高かった。また4輪駆動であり、大雪の中、相模湖まで夜な夜な走りに行ったのもいい思い出である。決してエモーショナルだとかは思わせないものの清潔感があり、見る角度で落ち着きと躍動のメリハリをつけているフォルムは今でも秀逸だと思う。そしてドラマチックに乗り手の感情を鼓舞させるような要素は全くないながら、行間を目いっぱいに取るかのようなゆとりをドライバーにもたらすフィーリングのエンジンは、しかしロングドライブにおいても退屈さは感じさせない秀逸なものだった。結論としては、目を見張るパフォーマンスと、その時に十分に、当時の水準での低燃費を達成するメカニズムは、いつも最後に「さすがはメルセデス」と言わされるかのようだった。今では毎月のように取材などでクルマでのドライブをしている小生。自分のペースで旅ができて、そんな旅の先々で様々な出会いがあるのは何にも代えがたい喜びである。そんなクルマでの旅の喜びを早くも楽しませてくれていたのだと、改めて振り返ると気づくものである。しかしあの頃の遠出は一回一回がもっと大事(おおごと)で、エキサイティングで、アドベンチャー的な要素は多かったに違いない。経験の浅いころのそうした不安や、新鮮な気持ち、そしてどこか消化不良だったりすることでさえ、後から振り返ると何か尊いもの。そして都度都度の出会いに素直に感謝できる心持でこれからも過ごしたいものである。またクルマで旅に出たくなる。今度はどんな出会いがあるのだろうか。