バスは苦手だと何十年もつぶやき続けているあいだに
先日、仕事で水戸駅に降り立った。目的地は駅からバスで30分ほどの場所である。バスは苦手だ。初めての土地ならなおさらである。
バスは、知らない土地のどこをどう走っているかわからない。駅前のバスターミナルから乗るなら、まだいい。その日私は、駅のそばにある千波公園を散策してから現地に入ろうと目論んでいた。バスに乗るのは、その千波公園あたりからである。いったい停留所はどこにあるのだ?その停留所から、私の目的地まで行きつけるのか?
しかし、私がバスは苦手だと何十年もつぶやき続けているあいだに世の中は変わっていた。私が散策時に愛用しているアプリ「Google Maps」は、現在地と目的地を入れると見事にバスの経路をはじき出してくれる。しかもコース上にあるすべての停留所も示してくれるので、あとどのくらいで着くかもわかる。そもそも、GPSで自分のいる場所が表示されるため、だいたいの距離感もわかるのはありがたい。
料金の払い方がわからなかったけど
千波公園にて目的地を入れて検索すると、一本のバスで行けることがわかり、私は大船に乗ったつもりで停留所でバスを待った。ところがバスが到着し、後方のドアが開いたところで固まってしまった。そこには、ICカードをタッチする機械と整理券を引き抜く機械のふたつがあったのである。つまり、料金の払い方がわからないのだ。
早く決断して乗り込まなければ。乗車中の人たちから冷たい視線がそそがれる。昭和な私は整理券を引き抜いた(平成生まれなら間違いなくICカードをタッチするだろう)。
目的の停留所に着いたとき、私は整理券を見せながらバスの運転手さんにたずねた。「これ、とっちゃったんですが、ICカードで払えますか?」。
運転手さんは、ICカードを持っているなら、最初にタッチすると簡単に降りられますよ、次はそうしてくださいねとにこやかに説明しつつ、料金箱の機械を手早く操作してICカードなら割引になる料金を表示してくれた。ありがたい……。
「いつもの〇〇の交差点には行きませんけれど、いいですか?」
さて、帰路である。先の運転手さんに教えてもらったとおり、乗車時にICカードをタッチした私は、ぼんやり外を見ながら水戸駅までの道のりを楽しんでいた。水戸駅まであと2kmという道路標識を通過した先の停留所で、一組の母娘が乗ってきた。
母親は70歳くらい。娘は40歳くらいに見える。そして娘には脳に障がいがあるようだった。母親は娘の手をひき、バスのステップを上がらせ、娘のリュックから紐でつるされているICカードをタッチするようにとうながす。そして、乗り込んだら、ここに座りなさいねと車椅子マークのついた座席を指さした。
そのときである。運転手さんがふりむき(このときも笑顔)、こう言ったのだ。
「いつもの〇〇の交差点には行きませんけれど、いいですか?」
水戸駅周辺を走るバスは、あちこちの地域をまわってきたバスたちが、一斉に同じルートをたどりはじめ、同じ停留所を使う。バスの前方にある行先表示板に「水戸駅」と書いてあっても、駅までのルートは異なるのだ。バスの行先表示板に番号が併記されており、それで判別するのだが、高齢の母親は見落としたらしい。
「えっ、行かないんですか?」
母親はあわてた様子で言うと、運転手さんは、「そのまま後ろから降りていいですよ」と声をかける。母親は、頭を下げながら、娘の手をひいてゆっくり降りていった。運転手さんの笑顔のおかげで、その間、バス車内はやさしい空気が流れていた。
自動運転はサービス業としての要素開発を本気で進める時期
バスの運転手さんは呼びかけたとき、「いつもの」と言った。きっとこれまでもこの母子を何度も乗車させていて、彼女たちが降りる場所を覚えていたのだろう。
さて、自動運転である。今は、ひとつの地域に自動運転は1ルートである。けれど今後、いまの水戸駅周辺のように何台ものルートが作られたら。そして、乗員も不在になったら。
私が教えてもらった、料金の払い方やICカードでの割引料金への切り替え。そして、この母子のように、「いつものバスじゃないんだけれど、大丈夫かな?」という気づきと配慮と声がけ。バスの運行サービスは、乗客が無事に目的地に行くための対応があって初めて成立する。公共交通機関の自動運転開発も、技術だけでなく、そろそろサービス業としての要素開発を本気で進めていく時期がきている。
岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家
イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。レスポンスでは、女性ユーザーの本音で語るインプレを執筆するほか、コラム『岩貞るみこの人道車医』を連載中。著書に「ハチ公物語」「しっぽをなくしたイルカ」「命をつなげ!ドクターヘリ」ほか多数。最新刊は「法律がわかる!桃太郎こども裁判」(すべて講談社)。