ちょっと意外な気もするが、VW『ゴルフ』のデビューは、我が日本のホンダ『シビック』(1972年)に遅れることおよそ2年後の1974年のことだった。にもかかわらず、ごく個人的な皮膚感覚だが「現代のFF・2BOXの元祖的存在は?」と考えたとき、真っ先に名が挙がるのはやはっり『ゴルフ』のほうになる。もともと名車『ビートル』の後を引き継ぐ次世代のVWの主力乗用車として登場したのが『ゴルフ』だった。メカニズムもスタイリングも何もかもが刷新され、その変貌ぶりは、今でいうとガラケーがスマホに変わったほどといったところか。写真のパンフレット(総合カタログのようなもの)は'77年当時のヤナセのものだが、当時、同じ新時代のVW車としてデビューを飾ったスポーツクーペの『シロッコ』や上級サイズの『パサート』とともに『ビートル』も載っているが、まさに世代交代の瞬間というか過渡期のパンフレットといえる。ちなみにこの時の『ビートル』(VW1200LE)の水平対向4気筒エンジンは1.6リットル(1584cc)とあり48HP/10.2kgmのスペック、対して『ゴルフ』は同じ1.6リットル(1588cc)ながら82HP/12.2kgmと記されており、車重は『ビートル』が830kg(コンバーチブルは915kg)、『ゴルフ』が800~870kg(E・2ドアMT~GLE・4ドアAT)となっている。◆“背の低さ=かっこよさ”だった時代の風雲児ところで初代『ゴルフ』は全高1410mmと当時の同クラスの乗用車では群を抜いた背の高さとボクシーなスタイリングが何といっても印象的だった。全高でみると初代『シビック』(SB1)が1325mmだったから、それより85mmも高かった。ミニバンやSUVで溢れる今と違い当時の日本車はまだ“背の低さ=かっこよさ”のセンスが一般的だった時代で、駐車場でもそういうクルマがほとんどだったから、そんな場所に『ゴルフ』が並ぶと、文字通り一頭地を抜いた存在だった。ズングリ……とまでは言わないが、とくにリヤから眺めると、張り出したフェンダーフレアにしっかりと路面に踏ん張ったタイヤ、天地に大きいガラスエリアやキャビンが印象的だった。が、とりも直さずそれは、スタイリストだったG・ジウジアーロが編み出したもっとも合理的でシンプルな新しい乗用車の姿にほかならなかった。ホイールベースは現在の日本の軽自動車よりも短い2400mm、全長×全幅=3815×1610mmのコンパクトなボディからは想像もつかない室内空間のゆとり、ラゲッジスペースの広さは、縦方向の空間を活用したパッケージングの賜物。その代わり装備は実に簡素なもので、ステアリングはやや細目のグリップの樹脂製で、ゴリッとした感触のマニュアル車のシフトレバー、“手巻き”で開閉操作するドアの窓ガラスなどは当時の標準。とはいえパン!と表皮が張ったシートが疲れを呼ばないことは長時間ドライブを経験すればわかったし、なりはコンパクトでも高速道路も安定して走る……など、ドイツ車らしい素性の高さは、乗ればわかる『ゴルフ』の実力だった。カタログにはダイヤゴナルツインサーキットブレーキシステム(=一系統のドラブルが生じてもX配管によりもう一方の生きたブレーキを効かせ安定してクルマを止める方式)、セルフスタビライジングステアリングシステム(=万一、走行中に前輪の片側がパンクしてもハンドルを取られにくくしたフロントサスペンションの設計)などの紹介も。これらは当時の『ゴルフ』のカタログではお馴染みの“項目”だ。また先ごろ現行型でも復活させたディーゼルも、この初代から('77年~)設定され、経済性を重視した欧州の実用車らしさもアピールしており、'79~'80年には幾度目かのオイルショックの影響もあり、ガソリン車を上回る売れ行きを見せていたという。◆初代ゴルフか、117クーペか自身のことを書くのはなるべく控え目にしよう……とは思ってはいるのだが、何を隠そう筆者は運転免許を取り最初の自分のクルマは、この初代『ゴルフ』か、いすゞ『117クーペ』のどちらかにしようとしていた。今回、写真でご紹介しているカタログの現物は、まさしくその当時にヤナセのセールスマンから貰ったものである。結局、G・ジウジアーロつながりだが、若くてスカしたい気持ちが優ったのだろう、『117クーペ』を選んだのだった。が、後に中古の初代『シロッコ』と、『ゴルフ』は“2”(紺色の2ドアCiのMT車)を自分のクルマにしており、この時に遅ればせながら、走りや使い勝手のよさなど『ゴルフ』の“達観した実用車ぶり”を自分の生活の中で存分に味わったのだった。
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