歴代ホンダ社長が愛した熱気球の魅力、「熱気球ホンダグランプリ」が30周年 | CAR CARE PLUS

歴代ホンダ社長が愛した熱気球の魅力、「熱気球ホンダグランプリ」が30周年

イベント イベントレポート
熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース。初日は強風により競技キャンセルとなったが、有志チームが熱気球を立て、集まった人々に雄姿を見せていた。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース。初日は強風により競技キャンセルとなったが、有志チームが熱気球を立て、集まった人々に雄姿を見せていた。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース。インフレーターという巨大扇風機でエンベロープ(球皮)に空気をはらませ、バーナーで熱気を送って直立させる。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース。2日目は競技気球、オフィシャルバルーンとも飛んだ。写真はヤクルトマン号。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース。3日目はローンチサイトからの一斉離陸で競技が始まった。
  • 地上クルーとハイタッチを交わして離陸。競技を的確にこなすには地上クルーとの綿密な情報交換が必要だ。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース。離陸しているのは今季総合優勝を勝ち取ったやずやバルーンチーム(操縦は藤田雄大選手)。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース3日目。一斉離陸は圧巻。
  • 熱気球ホンダグランプリ2022最終戦、渡良瀬バルーンレース3日目。離陸後、各機は最初のタスクHWZ(ヘジテーションワルツ)へと向かう。地上に設置された複数のターゲットのうちどれにマーカーを落としてもよく、ターゲットの中心との距離で順位、点数が決まる。

12月16日から18日の3日間、年間4戦からなる「熱気球ホンダグランプリ2022」の最終ラウンド、渡良瀬バルーンレースが開催された。競技は初日と2日目が午前、午後の2フライト、最終日が午前中の1フライトの計5フライト。初日は強風で午前、午後ともキャンセルになったが、その後は2日目午前中の6種目複合をはじめ、すべて飛ぶことができた。

渡良瀬上空の戦いを制したのはチームヤクルト(操縦は山下太一朗選手)。2022シーズンの年間タイトルを獲得したのは渡良瀬で3位を確保したやずやバルーンチーム(操縦は藤田雄大選手)だった。

◆「これからの時代は風を読み、風に乗ることこそが大事になる」

日本唯一の年間シリーズ戦である熱気球ホンダグランプリにとって、今年は1993年の初開催から30年目という特別な年だったが、9月にもうひとつの出来事が起こった。熱気球レースに愛情を示し、ホンダが今日に至るまで冠スポンサーとして支援し続ける発端となった3代目社長、久米是志氏がこの世を去ったことである。

久米氏が熱気球と接点を持ったのは1989年の佐賀バルーンフェスティバル。当時、佐賀フェスティバルはすでに100万人以上を集める巨大イベントとなっていたが、メインスポンサーが同年限りで撤退を表明しており、熱気球運営機構と佐賀県にとって次のメインスポンサー探しが急務となっていた。

「スポンサーを探すと一口に言っても、もちろん簡単なことではありません。が、この時は佐賀の人たちの熱気球イベントに対する思い入れに助けられました。我々が困っていることを聞きつけた地場のホンダ販売店の経営者が何と久米さんを連れてこられたんです。いきなりのことでびっくりしたのですが、熱気球の何たるかを知ってもらうには飛んでみるのが一番。佐賀銀行が提供していたオフィシャルバルーン(競技には出ない公式気球)に乗って空から熱気球レースを見てもらったんです。久米さんはフライトのあいだじゅう、『これはチャレンジそのものだね』『熱気球で飛ぶのは面白いものだなあ』と大変エキサイトされていました」

日本における気球競技の黎明期から半世紀にわたって熱気球と関わり続けてきた熱気球運営機構会長の町田耕造氏は、久米氏が満面の笑顔を浮かべながら熱気球に乗る数々の秘蔵写真を示しながら当時の様子を語った。

「久米さんは90年に相談役に退かれましたが、その後も大学の名誉教授、自衛隊の司令官などいろいろな人を連れてきては一緒に熱気球に乗っていました。『ウチは今まで風を切ってばかりいた。しかしこれからの時代は風を読み、風に乗ることこそが大事になると思う』と、熱気球と企業経営を重ね合わせていましたね」(町田氏)

◆歴代ホンダ社長が愛した熱気球の魅力

以後、現社長の三部敏宏氏を除く歴代社長全員が熱気球に乗っている。町田氏の印象に深く残っているのはやはり2022年、久米氏より少し先に逝去した5代目社長の吉野浩行氏。熱気球はイメージとは裏腹にエアスポーツとしては事故が非常に少ない乗り物なのだが、よりによって吉野氏の目前で事故が起こった。地表へのハードランディングで機内火災が発生し、コントロールを失ったまま高空へ飛んで行ってしまったのだ。

町田氏はバルーンレースへの理解を得られなくなることも覚悟したそうだ。が、吉野氏の反応は町田氏の予想とはまったく違っていたという。

「吉野さんは目の前でびっくりするような事故が起こったのに『あのパイロットの判断力はすごいね。(同乗していた)クルーを抱えて飛び降りてたよ』などなど、事故そのものよりも事故への対処のほうに関心を示していました。そして『自動車レースでも事故は起こる。今回は負傷者も出ず、他の損害も出さずにすんだのだから本当によかった。今は僕の応対は不要ですから事故処理をやってください』と声をかけてくれました」(町田氏)

もちろん歴代社長全員が熱気球を手放しで愛したわけではない。福井威夫6代目社長は吉野氏の紹介で佐賀バルーンフェスタで搭乗したが、「速くない乗り物は好きじゃない」と公言していた同氏だけに特段の興味を抱いた様子ではなかったという。ところが、

「年を越した初夏の佐久(長野)の大会のときに“乗りたい”という申し入れがあったんです。ご本人の意思というより、奥様と娘さんが熱気球を好きになられたということだったようです」(町田氏)

その後の伊東孝紳7代目社長は周囲から横槍を入れられるのを避けるため、プライベートでバルーンレースを訪れて度々搭乗。八郷隆弘8代目社長は社長になったら熱気球に乗るものと決まっているのだと思って乗ったが、実際に飛んでみたら面白さに興奮していたという。

◆ホンダが遊びゴコロを持ち続けていることの証左

エンベロープ(球皮)内に熱気を送るバーナーを炊いていない時はほぼ無音のまま飛ぶ熱気球は、他のエアスポーツとも異なる独特の魅力を持つ乗り物だが、巨大企業の社長ともあろうものが世代交代しても次から次へとその愉悦に素直に身を投じるのは、ホンダという企業が根っこの部分で遊びゴコロを持ち続けていることの証左。

また、空、宇宙を視野に入れた三次元のモビリティ企業を目指すと三部社長が宣言したホンダにとって動力がなく、風を利用して移動するだけという最もプリミティブな飛翔体である熱気球は、自然を知り、空を究めるための最も基本的な実験フィールドでもある。

遊びのようで遊びでない、遊びでないようで遊びという、ホンダにとって奇縁とも言える熱気球。グランプリの次の30年が楽しみなところである。

《井元康一郎》

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