【人】誰にでも起こりうる「意識消失」2016年12月、神奈川県にある横浜横須賀道路の対面通行区間で正面衝突事故が起きた。反対車線にはみだした側の運転手と、自車線にいたクルマの助手席にいた方が亡くなっている。この件について神奈川県警は、はみ出した側の運転手を過失致死ではなく、危険運転致死傷罪で起訴している。理由は、脳腫瘍によるてんかんの恐れがあり、医師から運転を止められていたにもかかわらず運転し、事故時も意識消失状態にあったというものだ。この事故の直前にも意識を失ったと同乗者が証言しているという報道も見受けられる。そんな状態で運転を続けていたのかと思うと、背筋が寒くなる。意識消失自体は、年齢や病歴にかかわらず誰にでも起こりうる話だ。30代のサッカー選手や、40代後半の野球コーチなどでも、心疾患、脳疾患によりグラウンド上で倒れた事例だってある。これが運転中にも起こらないとは言い切れない。でも、今回、事故を起こした運転手のように、すでに意識消失の経験があり、いつまた気を失うかもしれないのに運転する人がいるのかとぞっとしていたところ、交通事故総合分析センター(ITARDA)の大嶋菜摘研究員の調査結果を聞いて愕然とした。大嶋氏が行った、高齢者が起こしたいくつかの事故について本人や家族への丁寧なヒヤリングも含めた調査によると「糖尿病や心臓疾患により、事故を起こす前にも何度か意識喪失状態になることがあった」というのである。げー、そうなのお?大嶋氏の話を聞きながら、たぶん私の目は「点」になっていたと思う。ものすごくショックだった。というのも、私が今まで勝手にイメージしていた「急病で意識を失い、交通事故を起こすパターン」というのは、「これまでは健康体だったのに、何の前触れもなく意識を失う」というものだったからだ。先日も30代のバスドライバーが事故を起こしたが、「事前の健康診断では異常なし」と報告されていた。そのほかも、報道で知る限り、(睡眠時無呼吸症候群以外は)事前の検査では、特に既往症がない人がほとんどだ。だというのに、一般ドライバーのなかには、意識消失を繰り返しているのに運転を続けている人、しかも事故を起こしている人がやおらいたのである。大嶋研究員が報告した、事故を起こした高齢ドライバーなど氷山の一角だろう。そういう人たちは、どうやってクルマからおりてもらえばいいのだろう。◆自分の行動に責任を持つ、ということ運転できなくなることは、公共交通機関の乏しいエリアに住んでいる人たちにとっては死活問題だ。それでも警察庁によると、返納制度の認知度アップや、バスチケットやタクシーチケットの配布といった公共サービスの支援もあり、高齢ドライバーの返納率はこのところ著しく上がっているという。警察庁は2017年3月から、高齢者講習の制度を改め、認知機能が低下した人たちをよりタイムリーに見つけ出せるようになった(それでも、高齢者でも三年に一度の免許更新では、実態に沿っていないと思うけれど。ただ、これには財源とか医師の確保とか、さまざまな問題がからんでいるのでここでは深堀しない)。ただ、この高齢者講習で対象になるのはあくまでも認知機能の有無だ。病気による意識消失については手つかずと言っていい。横浜横須賀道路での事故の場合、主治医は運転を禁じたというけれど、それを実行するかどうかは患者の意思にかかっている。実行しなくても罪を問う法律はなく、事故を起こして初めて自分の犯した罪の重さに気づくのだ。それでは巻き込まれた方はたまったものじゃない。もちろん、病気、即、運転をやめろと言っているわけではない。正しく薬の服用をすれば、てんかんにしろ糖尿病にしろ、運転を続けることはできるからだ。逆に、いくら既往症がまったくなくて健康診断でオールAであっても、三日間徹夜して、インフルエンザで高熱を出している状態の人のほうがよほど危ない。要は、いま、自分が運転していいのか悪いのか、体調や薬の飲み忘れなども含めて、自分の行動に責任を持たなくてはならないし、そうさせるためには、どうすればいいかということである。今回の神奈川県警が判断した危険運転致死傷罪での送検は、意識消失の危険性を持ちながら運転する罪の大きさを広く知らしめる意味も含まれていると思う。巻き込まれた方のご冥福を改めてお祈りすると同時に、この事故の悲惨さから目をそらさず、どうすればこのような事故を二度と起こさないですむのか、真剣に考えていく必要がある。岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、最近は ノンフィクション作家として子供たちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。9月よりコラム『岩貞るみこの人道車医』を連載。